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zoom RSS 『走れメロス』はトンデモ本である

<<   作成日時 : 2011/06/12 00:29   >>

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太宰治にしては苦渋や虚無が感じられない奇妙な著作が、かの『走れメロス』である。

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ストーリー(めんどくさいので Amazon から引用)
シラクス市の暴君ディオニスを殺そうとして死刑を言い渡されたメロスは、たったひとりの妹の結婚式に出るために、親友セリヌンティウスに身代わりになってもらう。そして3日以内に戻ってくるという約束のもと、40キロ離れた家へ向かったのだが、再びシラクサへと戻るべく走るメロスの前に次々と困難が襲いかかるのだった…
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本の帯には、
「極限状況における友情の形を描いて日本文学の名作」
さらに、
「友情の理想の姿を描いた太宰文学の傑作」
ときたものだ。

たしかに、小学校の道徳の授業やら、読書感想文などに使われやすい「感動話」だろう。

しかし少年時代の私には、読後の違和感、というか不快感があった。
『走れメロス』を読み直し、その違和感の理由が分かった。

メロスは自分の代理としてセリヌンティウスを立てた。
本人に対して公衆の面前で頼むというやり方で。

通常、「友を信じろ」という主張のみで生死のかかった賭けに付き合わされてはかなわない。

しかし、民衆を前にして断るのは、かえって危険だ。

大衆は「メロスのことを信じられず、それでも親友なのか?」と言って騒ぎ出すだろう。
(現代のマスコミも似たようなもの)

つまり、セリヌンティウスは人質になるのを引き受けるしかなかったのだ。

さながら、旧日本軍の神風特攻隊「志願者」のように。

こうすることをメロスはディオニソス王にあらかじめ提案して、受け入れられた。
つまりセリヌンティウスにとって、メロスとディオニソス王は自分をはめた共犯関係にあるのだ。

そもそも、セリヌンティウスとメロスは本当に「竹馬の友」なのか?

セリヌンティウスこそはメロスの策謀の被害者であり、そこに行動や選択の自由などなかった。

誇りあるギリシャ市民ではなく、奴隷と同じなのである。

しかし、願いかなったメロスにも誤算があった。

セリヌンティウスを置いて妹の結婚式に急ぐ間も、人々は彼に注目し続けているのだ。

メロスは「友」を置いてまんまと逃げるつもりだったかもしれない。
しかし、民衆の監視はそれを許してくれない。

途中で出会ったセリヌンティウスの弟子フィロストラトスは言う。
「もう間に合わない。あきらめろ」
しかし、その眼には自分の師匠を売り渡したメロスへの憎しみがあったかも知れない。

そんな状況でとんずらしたら、メロスの家族や妹にも被害は及ぶだろう。

というわけで、逃げ場をなくしたメロスは、仕方なくディオニソスのもとに帰ってきたのだ。

それまで、刑場のセリヌンティウスは生きた心地がしなかっただろう。
(彼にも家族がいるだろうが、一切触れられていない)

『走れメロス』は独りよがりで他人に迷惑をかけて恥じない男が、自らの罠にはまった話なのである。

日本人が好きな『忠臣蔵』も似たようなものだ。
浅野内匠頭に一方的に斬りつけられた吉良上野介が何をしたというのか?

歌舞伎やドラマではおもしろおかしくされているが、彼が内匠頭をいびった証拠はない。
愚かなのは内匠頭一人だけで、多くの家臣は路頭に迷い迷惑しただけだった。

というわけで、

『走れメロス』という奇妙な物語に「おかしい」と言えなかった少年時代の自分が歯がゆい。

生徒に対し、「友情や人を信じるのはえらいと思いました」といった感想文を教師は求めていた。

『走れメロス』は「大人から見た良い子」を計るための一種の踏み絵なのであろう。

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