お奨めミステリー小説 (222) 『玻璃の天』 北村薫

名作『街の灯』の後日談といえる中編集だ。

前作にもあったように、明治維新後は貴族階級出身者が必ずしも裕福ではなかった。この小説の舞台は昭和初期だが、旧貴族家では運転手が雇えるほど余裕がなく、学習院にも電車で通ってきたとある。これはカースト制が残るインドで上位カーストであるバラモンが貧しいのと似ている。労働を卑しいと捉え人をアゴで使うことに慣れた連中の末路といったところか。

これに対し、この世を謳歌する花村家は旧貴族や大名の末裔ではなく民間の実業家だ。
ひとり娘で女子学習院に通う英子は世間を知らない「深窓の令嬢」ではなく、どこへでも出かけていく。

そのお供をするのがベッキーさんこと別宮みつ子だ。
ベッキーさんはサッカレーの作品からとった『虚栄の市』で初登場した。
長身で学問・武道に優れながら、それをひけらかすことはない。
昭和初期の女性にしては珍しく車の運転もする。

彼女は名目上運転手だが、ボディーガードで教育係も兼ねているという英子にとって特別の存在だ。

ベッキーさんに惚れ込んだ英子との名コンビは『街の灯』以来変わらないが、英子はベッキーさんへの依存が若干減じて独立心が芽生えている。『赤毛のアン』を思わせる議論好きで活発な少女に成長しているのだ。

ベッキーさんも立場上、口に出さないものの、英子を好ましく思っているのだろう。

前作におけるベッキーさんの魅力は格別だったため、文芸春秋でもこうした続編の連載を企画したのだと想像する。
(多分)

そして謎に満ちた彼女の生い立ちと素性は最後に明かされる。

小説全体の舞台となる時代は第二次大戦直前となり重苦しい。軍部の台頭で人命への軽視やそのことを批判出来なくなる空気がある。「隣り組」で監視しあうのも同じ時期だ。

当時の日本は弱いくせに対外的に虚勢を張る、ちょうど今の北朝鮮みたいな国だった。

しかし英子は最後に書く。
「個人の正義のために他人を抹殺するのは許されない。それがたとえ赤穂浪士でも」

北村の古くからの読者はこうしたメッセージ性が全面に出た作品集になっていることに驚いたそうだ。
「ベッキーさんもの」は古き良き時代へのオマージュではなく、現代への警告を内包したシリーズになってきたのだ。

表題作『玻璃の天』は内容を的確に表したすばらしいタイトルだ。
そこで使われているのは貴志裕介の『硝子のハンマー』と並ぶガラス(玻璃)を用いた完全犯罪のトリックなのだ。

そして文章術は中庸を得て見事の一語だ。
元国語教師だから言うわけではないが、教科書に載せたい文章の一つだ。

今後もこのシリーズに注目して行きたい。

そして、終わらないで欲しい。
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[あらすじ]

『幻の橋』
学習院女子部に通う花村英子は友人で銀行家の娘である内堀百合江から相談を持ちかけられる。
知りあって恋に落ちた洋一郎という男がこともあろうに一族の仇敵の孫だったというのだ。

まさに「ロミオとジュリエット状態」の二人だが、これを機会に両家は仲直りをしようという機運が高まる。内堀家で催す講演会に洋一郎も来るというその場に立ち会って欲しいと頼まれ、英子はベッキーさんに運転させて訪ねる。

ところが、和解を祝うために祖父が洋一郎に持たせた絵が盗まれてしまった。
誰かが両家の和解を邪魔しようとしているらしい。

一方、講演会では荒熊という男が熱弁を振るっていた。
荒熊は自由という言葉を徹底的に排撃し、国家の一大事である現在、国民が命を捧げることが重要だと訴える。
昨今では軍の台頭でこうした手合いが勢いを増しており、その影響力は侮れなかった。
以前、荒熊を冷静に論破した有能な学者が暴漢に襲われ殺されて以来、荒熊には暗いうわさが絶えない。

案の定、荒熊は男装のベッキーさんに目を留めて「女は仕事など辞めて、国のために子供を産み差し出せ」と言い放つ。

『想夫恋』
英子が最近知り合った同級生、綾乃は旧貴族の出身で物腰は優雅なものの、家庭は裕福でないらしい。
彼女は内に秘めた激しい感情を音楽にぶつけており、箏やピアノを弾かせると驚くべき才能を発揮する。

そんな綾乃が家出をしてしまった。

家族は恥じてはっきり言わないが、綾乃は見知らぬ男の元に身を寄せているらしい。
綾乃が残した男との逢引きを示す暗号に英子とベッキーさんは挑む。

彼女の心を奪った男は誰?

『玻璃の天』
銀座に食事に行った英子は二人の男と知り合う。
一人は今評判の若手実業家の末黒野で、古い勢力を食い物にするというやり手だ。
もう一人の男、乾原は優秀な建築家だがエキセントリックだ。
特に留学中にステンドグラスに魅せられ自分の設計した家にも取り入れている。

英子は乾原が設計した末黒野の家に招かれる。
天井までステンドグラスに覆われたドームを持つモダンな建築だ。
ところが、乾原は拳銃を撃ってステンドグラスの天井部分に穴を開けてしまうという傍若無人さだ。
依頼主の末黒野も仕方ないとあきらめている。

末黒野の家で行われたのはまたも荒熊の講演会だった。
相変わらず国家のために国民の命を差し出せという内容に英子はうんざりする。

ところが、講演を終えた荒熊が屋根から墜落死した。

荒熊は一人勝手に屋根に登って落ちたようだったが、英子はこれが殺人事件ではないかと直感する。


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文藝春秋
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