東西の近代美術館を巡って

国立の近代美術館は東京と京都にしか存在しないが、週末にこの二カ所を訪ねてみた。

京都国立近代美術館 (MOMAK) は平安神宮の巨大鳥居の脇にある。

現在、企画展『ウィリアム・ケントリッジ -歩きながら歴史を考える』を開催中。
ウィリアム・ケントリッジ(William Kentridge)はヨハネスブルグ在住で「動くドローイング」というアニメーション・フィルムを制作してきた。木炭とパステルで描いたドローイングを部分的に描き直しながら、一コマ毎に撮影するという気長で素朴な手法だ。作品のレトロさからみて20世紀前半の人かと思いきや 1955年南アフリカ生まれの立派な現役。
インスタレーションに使われる効果音や音楽などから察するに、アパルトヘイトや社会主義の崩壊などが制作の原動力になっているようだ。

皇居向かいの東京国立近代美術館 (MOMAT) では『ゴーギャン展』を開催中。

晩年の大作《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》が売りものだが、実はそこに行くまでの作風変遷が面白い。ゴーギャンは中年から芸術に目覚め、文明社会を捨てタヒチに移り住んだというイメージが定着している。モームの『月と6ペンス』の影響が大きいだろう。

たしかに当初ゴーギャンは裕福な株式仲買人の趣味としての日曜画家だった。ただ思い切ってフランスから去ったことは20世紀前半のフランスのバブル経済崩壊と関係している。家族を養えなくなったゴーギャンにとって(妻は子供を連れ故郷に帰った)、タヒチへの“楽園行き”という思い切った行動が取りやすかったのだ。

また、ゴーギャンのタヒチ絵画に登場する半裸の女性たちの大部分はお金を払って雇った現地のモデルだという。
当時のタヒチはすでに“文明に毒され”、多くの住民は原始的な生活は捨て去っていたのだ。

したがってゴーギャンの描く“楽園”は西洋人が理想化した“蝶々夫人”と同じレベルにあると考えざるを得ない。

夢を壊される話だが、とにかく“野生児ゴーギャン”にはある種の胡散臭さを感じる私である。

NHK が一大キャンペーンを張った《我々は・・・》も数ある有名作の一つである印象しかない。
実際にこの大作を見た印象でも、私はゴッホほどの芸術の力は感じなかった。

少し残念。

さて東京・京都の二つの近代美術館だが、収蔵作の多くが“明治以降の日本人の美術”である。
したがって重要度はともかく、そのレベル(特に初期の洋画)は決して高くない。

おかげで最高の立地条件にもかかわらず、普段は客も少なく実に気楽な“避暑地”なのだ。

しかし、現在はゴーギャン展のおかげで東京はかなりの混雑ぶりだ。

二年前の『ダ・ヴィンチ展』(このときは絵一枚だった)ほどではないにしろ、《我々は・・・》の前では職員から「止まらないで歩きながら見て下さい」との“指導”が入るのだ。

自分のペースで見学できないと実に疲れる。

美術館からクタクタになって出てくるという経験は、これきりにしたいものだ。


《タヒチ》ゴーギャンの愛した音楽~タヒチの歌と踊り
Warner Music Japan =music=
2008-08-06
民族音楽


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