「君の名は。」 で感動できるか?
アニメ映画 「君の名は。」 が大ヒット中だそうだ。
観た人も概ね好意的で「老若男女を問わず受け入れられるストーリー」との評もあった。
そう言われても邦画(特にアニメ)に興味が持てない私にはピンとこないが、幸いタダで観る機会に恵まれた。
映画館でアニメを観たのは「ゴジラ vs. メカゴジラ」の併映「ハム太郎」以来だ(何年前?)。
肝心の感想だが、やはり「ピンとこない」のである。
感受性が合わないと言えばその通りだが、そこにはアニメーションという表現手段の本質が関係している気もする。
まず、多くの人が感想で口にする背景・景色の美しさは確かに認める。
しかし、これも 紅葉 など現実の自然美を知っているから言えること。
「アニメに思えないほどリアル」 という感想は、制作者の努力を讃えると同時に「実写には及ばない」というニュアンスを含んでいる。
その疑似リアルな光景に人が入り込んできたとき、「アニメの世界」に引き戻され気づく。
アニメに風景は書きこむことができても「人間の表情」は描ききれないのだ。
アニメの顔は演技していない。
絵を構成する線の数や動きが(無限に近いバラエティを持つ)現実の人の顔に比べ極端に少ない。
そのため、表情の種類がおそらく10種類にも満たない。
顔で表現しているのは、喜ぶ・怒る・悲しむ・驚く といった分かりやすいもので複雑な感情表現しえない。
それだけなら物理的制約(秒間コマ数など)で仕方ない。
はるかに情報量が多いゲームのCGアニメでも表情を出すのは難しいのだから。
しかし、単純でバラエティのない表情は、登場人物を単純な性格に描くことにつながる。
すぐ泣いたり、笑ったり、怒ったかと思うとさっさとデフォルトの表情に立ち直ってしまう。
本作でも、声優が類型キャラの役作りにおいて巧いため、それが際だつ。
女子高生は東京に憧れる地方の元気娘。
都会の男子高校生は爽やかで、しかし会ったこともない田舎の女子高生を若干バカにして「お前」呼ばわりだ。
普通はそんな扱いされたら印象悪いと思うが、素朴な女子高生はひたすら可愛くリアクションする。
ここら辺には、アニメ制作者(=おとこ?)の願望が入っていそうだ。
両者ともそれ以上の人間性はよく分からず、趣味も描かれず、親しい友人も意地悪な友人も各2-3人と適当。
ここまで登場人物が単純化されたら、ストーリーで勝負してもらいとは思う。
SF・ファンタジー的な面に突っ込みはしないが、ストーリー上大事肝心な部分に弱点がある。
なぜ男子高校生は何回も何日も女子高生と心が入れ替わりながら、「そこがどこでいつ」か分からないのか?
入れ替わり中、毎日高校に通いカレンダーを見て生活しているのだ。
「目覚めて記憶が薄れた」と脚本家は言いたいかもしれないが、それを補うために両者はスマホメモを残している。
「どこに住んでいる人?」と相手にメモで尋ねることすらできるのだ(名前はそれで知っている)。
風景から検索して場所探しも可能だし、新聞を読めば(読まなくても)「過去の大災害」は既成事実としてあるのだ。
それ以外にも突っ込みどころ満載で、
―停電を起こすため中部電力を爆破する必要があるか?(病院などでは生命にかかわる)
―「逢魔が時」に会えるなら、したいときそうすればいいのではないか?
など。。
無理に巡りあわせた終り方も少し考えてほしかった。
少し似た素材の 「バタフライ・エフェクト」 は、その点で秀逸だった(特に公開バージョン)。
顔(表情)の演技力ということで、最近観た 「ガール・オン・ザ・トレイン (The Girl on the Train)」 は巧かった。
↑↑ (よくできた予告編だが、見過ぎると犯人のヒントがあるので注意!) ↑↑
この映画のストーリーにおいて、単純ながら本質的な叙述トリックがあり、そのことに気づくと大いに感心する。
それ以上に、主役を演じる英国人 エミリー・ブラント (Emily Blunt) の演技は特筆ものだ。
彼女が演じる毎日車窓風景を見ている女は、いつもと違った風景から殺人事件の可能性を考える。
しかし彼女にはアル中の離婚歴があり、虚言癖と診断されたこともあって周囲に遠慮がある。
案の定、警察に訴えても周囲は冷ややかだ。
「自分が何を言っても信じてもらえないのでは」 と感じておどおどしている様は真に迫る。
もちろん憔悴したメイクのせいもあるが、最後の澄みきった表情との対比は鮮やか。
まさに鍛えた演技力を見せつけられる。
エミリーが次々と話題作の重要な役に起用されるのも分かるのである。
ちなみに彼女は宮崎監督の「風立ちぬ」の英語版吹き替えをしている。
(声優が大声で喚かず、最近観たアニメでは最もましなものだった)
日本映画にもエミリーほどの「リアル俳優」が登場してほしいものだ。
しかし、映画館の予告編にみる邦画はアニメかアニメ原作の似たようなものばかり。
すぐに泣いたり喚いたり(男女問わず)、深みがない人物描写だ。
アニメの登場人物はリアル化せず、現実の人物がアニメキャラに近づいている感すらある。
観た人も概ね好意的で「老若男女を問わず受け入れられるストーリー」との評もあった。
そう言われても邦画(特にアニメ)に興味が持てない私にはピンとこないが、幸いタダで観る機会に恵まれた。
映画館でアニメを観たのは「ゴジラ vs. メカゴジラ」の併映「ハム太郎」以来だ(何年前?)。
肝心の感想だが、やはり「ピンとこない」のである。
感受性が合わないと言えばその通りだが、そこにはアニメーションという表現手段の本質が関係している気もする。
まず、多くの人が感想で口にする背景・景色の美しさは確かに認める。
しかし、これも 紅葉 など現実の自然美を知っているから言えること。
「アニメに思えないほどリアル」 という感想は、制作者の努力を讃えると同時に「実写には及ばない」というニュアンスを含んでいる。
その疑似リアルな光景に人が入り込んできたとき、「アニメの世界」に引き戻され気づく。
アニメに風景は書きこむことができても「人間の表情」は描ききれないのだ。
アニメの顔は演技していない。
絵を構成する線の数や動きが(無限に近いバラエティを持つ)現実の人の顔に比べ極端に少ない。
そのため、表情の種類がおそらく10種類にも満たない。
顔で表現しているのは、喜ぶ・怒る・悲しむ・驚く といった分かりやすいもので複雑な感情表現しえない。
それだけなら物理的制約(秒間コマ数など)で仕方ない。
はるかに情報量が多いゲームのCGアニメでも表情を出すのは難しいのだから。
しかし、単純でバラエティのない表情は、登場人物を単純な性格に描くことにつながる。
すぐ泣いたり、笑ったり、怒ったかと思うとさっさとデフォルトの表情に立ち直ってしまう。
本作でも、声優が類型キャラの役作りにおいて巧いため、それが際だつ。
女子高生は東京に憧れる地方の元気娘。
都会の男子高校生は爽やかで、しかし会ったこともない田舎の女子高生を若干バカにして「お前」呼ばわりだ。
普通はそんな扱いされたら印象悪いと思うが、素朴な女子高生はひたすら可愛くリアクションする。
ここら辺には、アニメ制作者(=おとこ?)の願望が入っていそうだ。
両者ともそれ以上の人間性はよく分からず、趣味も描かれず、親しい友人も意地悪な友人も各2-3人と適当。
ここまで登場人物が単純化されたら、ストーリーで勝負してもらいとは思う。
SF・ファンタジー的な面に突っ込みはしないが、ストーリー上大事肝心な部分に弱点がある。
なぜ男子高校生は何回も何日も女子高生と心が入れ替わりながら、「そこがどこでいつ」か分からないのか?
入れ替わり中、毎日高校に通いカレンダーを見て生活しているのだ。
「目覚めて記憶が薄れた」と脚本家は言いたいかもしれないが、それを補うために両者はスマホメモを残している。
「どこに住んでいる人?」と相手にメモで尋ねることすらできるのだ(名前はそれで知っている)。
風景から検索して場所探しも可能だし、新聞を読めば(読まなくても)「過去の大災害」は既成事実としてあるのだ。
それ以外にも突っ込みどころ満載で、
―停電を起こすため中部電力を爆破する必要があるか?(病院などでは生命にかかわる)
―「逢魔が時」に会えるなら、したいときそうすればいいのではないか?
など。。
無理に巡りあわせた終り方も少し考えてほしかった。
少し似た素材の 「バタフライ・エフェクト」 は、その点で秀逸だった(特に公開バージョン)。
顔(表情)の演技力ということで、最近観た 「ガール・オン・ザ・トレイン (The Girl on the Train)」 は巧かった。
↑↑ (よくできた予告編だが、見過ぎると犯人のヒントがあるので注意!) ↑↑
この映画のストーリーにおいて、単純ながら本質的な叙述トリックがあり、そのことに気づくと大いに感心する。
それ以上に、主役を演じる英国人 エミリー・ブラント (Emily Blunt) の演技は特筆ものだ。
彼女が演じる毎日車窓風景を見ている女は、いつもと違った風景から殺人事件の可能性を考える。
しかし彼女にはアル中の離婚歴があり、虚言癖と診断されたこともあって周囲に遠慮がある。
案の定、警察に訴えても周囲は冷ややかだ。
「自分が何を言っても信じてもらえないのでは」 と感じておどおどしている様は真に迫る。
もちろん憔悴したメイクのせいもあるが、最後の澄みきった表情との対比は鮮やか。
まさに鍛えた演技力を見せつけられる。
エミリーが次々と話題作の重要な役に起用されるのも分かるのである。
ちなみに彼女は宮崎監督の「風立ちぬ」の英語版吹き替えをしている。
(声優が大声で喚かず、最近観たアニメでは最もましなものだった)
日本映画にもエミリーほどの「リアル俳優」が登場してほしいものだ。
しかし、映画館の予告編にみる邦画はアニメかアニメ原作の似たようなものばかり。
すぐに泣いたり喚いたり(男女問わず)、深みがない人物描写だ。
アニメの登場人物はリアル化せず、現実の人物がアニメキャラに近づいている感すらある。
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