暴力コーチも暴力教師もばかである

大阪市立桜宮高校 の生徒が自殺した件に関して、最初は興味がわかなかった。

「体育科」 という「脳みそ筋肉人間」の集団で起きた事故のようなものと思っていたからだ。

しかしである。

NHK のローカル番組 『かんさい熱視線』 というので大阪放送局の記者が取材したものを放送していた。

この高校、バスケ部だけでなくバレー部でのコーチの暴力もひどかった。

生徒を倉庫に連れ込んで殴る、蹴るは日常。

被害にあった生徒たちが、公的な証拠とするため記録を残しており、機嫌の悪い日はビンタ40発だそうである。

これはれっきとした犯罪である。

ところが、校長は本人に聴取しただけで教育委員会には、「反省した」と報告。

3か月停職で仕事場に復帰した。

街中で他人を一発殴れば逮捕されるが、この扱いはなんなのだ?

(日教組など組合がこういう連中のポジションを保証しているのか?)

桜宮高校体育科自体が暴力の温床、どころか学校ぐるみで奨励していたとしか思えない。

内情の報告を受けた橋本市長が「体育科の入試を中止」と発言したのもそれなりに意味があったのだ。

韓国と日本に残る、こうした弱い者いじめの暴力。

儒教社会の歪んだ例(年功序列・上位に服従)であり、日本では運動部とヤクザに伝統が残る。

こうした例えは、ヤクザに失礼かも知れない。

まともなヤクザは、理由もなく舎弟に制裁を科したりはしないだろう。

これに対して、弱い立場の人間に暴力をふるうコーチ連中は、まず間違いなく自信のない小心者である。

まともに語る頭脳と言葉を持たないため、とにかく殴って相手を服従させることしかできない。

そして、自分をかつてそのように教育した自身の頭が上がらない強力な権威があるはずである。

このような「歪んだ成功体験」が暴力コーチの精神を支えている。

桜宮の同僚は「コーチは頼まれたらいやと言わない仕事熱心な人」みたいなことを言っていたのがその典型。

頼まれたら嫌と言わない人間は、自分より弱い人間に嫌と言わせない人間なのだ。

桜宮高校バスケ部コーチと女子柔道の園田(暴力)コーチの共通点は、「角刈りと知性の無い虚ろな眼」である。

極端な組織への帰属の象徴がこうした年齢に比して品格のない姿かたちとなるのだろう。

こんな人間しか日本のスポーツの指導者になれないのか?

バスケットボール、男子バレーボール、柔道、共通するのは世界に通用しない日本の競技だ。

弱い競技の選手は殴って根性を鍛えるしかないのか?

逆である。

殴ったから弱くなったのである。

自分の頭を使わず、殴られても「コーチについていきます」という依存心の強い人間しか残れないのである。

しかし、そんなもので通用するのはせいぜい日本の「全国大会」どまりである。

実際、桜宮高校OB名簿には一流アスリートの名にふさわしい人間はほとんど見当たらない。

説得力のない暴力のみの強制力など、一流アスリートには通用しない。

彼らは無駄に根性練習などせず、その分頭を使う。

普段の生活や栄養摂取を分析し、メンタルトレーニングを受け、大事な試合で実力を発揮できるように高めていく。

かつてしごきの象徴だった女子バレーも知性派真鍋監督になって強豪国に復活した。

他の日本人一流アスリート(まことに少なく残念だが)に当てはめても、分かるはずだ。

北島康介を殴ったら記録が伸びるか?

イチローを殴ったらヒットを量産するか?

浅田真央を殴ったらトリプルアクセルが跳べるか?

高校の運動部コーチという二流・三流の掃き溜めの住人たちには永遠に分からないかもしれない。

自分がかなわなかった夢を「選手の指導者」というポジションで満たそうとする連中だ。

この世から消え失せろ。

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この記事へのコメント

noga
2013年02月12日 09:52
「なんで人を殴るのか」と問えば、「態度が悪いからだ」と答える。
相手が服従の態度を示さないところが、気に入らないのであろう。
当人は、やけっぱちになっている。

日本語には、階称 (言葉づかい) というものがある。
上と見るか、下と見るかの判断を迫る日本語を使えば、モノの上下に関する判断は常について回る。
この世俗的な上下感が日本人の判断を狂わせている。

下とみられたものは、上からの暴力に抗することもむずかしい。
序列差法の一環と考えられていて、無防備状態である。
上の者の声は、天から聞こえてくると感じられるからである。

「下におれ、下におれ」の掛け声は、昔から続いた為政者の要求である。
理屈はない。ただ、指導者の要求のみがある。
世俗の上下制度が唯一の頼りとなっている。
暴力は、「がんばって」の掛け声のようなものか。

序列に基づく精神力 (意気込み) で、大東亜戦争に勝てるのか。
努力の空回りに気が付く時が来た。意気込みではなく、知力で負けた。
我々は、頭を鍛えなくてはならない。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

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